●ポール“ジャパニーズ・ライトニング”カリヤ 
〜Paul Tetsuhiko Kariya〜

所属:コロラド・アバランチ #9 LW

1974年10月16日、カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー生まれ。181cm82sレフトハンド。日系3世、カリヤ4兄弟の長兄。メイン大学1年時にして39試合で25ゴール、75アシストと脅威のスコアで全米大学選手権制覇、オールアメリカン、全米大学選手MVPであるホビー・ベーカー賞獲得などタイトルを総なめにしている。翌シーズンはカナダ代表強化指定選手となりナショナルチームでプレー。94年のリレハンメル五輪の主力選手として活躍するが、PS戦となった決勝のスウェーデン戦で、カリヤが外してスウェーデンの優勝が決まるという苦汁を味わう。93年のNHLドラフト全体4位で創設間もないマイティダックスに指名され94年に入団。1年目こそ47試合の出場に止まったが、95−96シーズンにセラニが加入すると、82試合フル出場し50ゴールを量産。2人のペアはNHL最高のコンビ「ダイナミック・デュオ」と称された。シーズンオフには若干21歳でマイティダックスのキャプテンに就任、チームの顔となる。96年の試合中に脳震盪を起こし11試合を欠場するが、復帰後は44ゴールを挙げて、チームを初のプレーオフ進出に導いている。長野五輪代表にも選抜されリレハンメルの雪辱をしたいところだったが、97−98シーズン開幕前のプレマッチ戦で、ブラックホークスDFスーターのチェックを受け、再び脳震盪を起こしてしまう。97年10月の日本開幕戦、長野五輪も欠場し、来日を待つ日本のファンを残念がらせた。結局このシーズンは60試合を欠場することになる。翌シーズンは鬱憤を晴らすように全試合フル出場し、キャリア2度目の100ポイントを達成している。01年3月にセラニがシャークスにトレードされコンビ解消となるが、常にポイントリーダーの活躍でチームを支えた。そして02年のソルトレーク五輪で2大会越しの悲願である金メダルを獲得した。03年にはデビルズの前に敗れたが、チームを初のスタンレー杯に導いている。オフに親会社ディズニーの財政難もありFAでアバランチへ移籍、セラニとの「ダイナミック・デュオ」が復活した。

ホビー・ベーカー賞、スポーツマンシップ賞2回、リレハンメル五輪銀メダル、ソルトレーク五輪金メダル。

1994年〜03年アナハイム・マイティダックス
2003年〜現在 コロラド・アバランチ

NHL通算成績 657試合 311ゴール 394アシスト 705ポイント

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