● マーク“ムース”メシエ 
〜Mark Douglas Messier〜 

所属:ニューヨーク・レンジャーズ #11 C

1961年1月18日、カナダ・アルバータ州エドモントン生まれ。183cm94sレフトハンド。WHA(NHLに対抗していたプロリーグで04−05シーズンから復活予定)のインディアナポリス、シンシナティーを経て、1979年NHLエントリードラフトでエドモントン・オイラーズから2巡目、全体48位で指名を受け入団。NHL26シーズン目(歴代1位)の大ベテラン。通算694ゴール(歴代7位)、1887ポイント(歴代2位)は現役最多。スタンレー杯は1984、85、87、88、90、94年の6回獲得。グレツキー、クリ、フュア、アンダーソンらとオイラーズ全盛期を支えた中心選手の1人。ニックネームはカナダを代表する動物ムース(ヘラジカ)から頂戴している。偉大なるキャプテンシーを持つ選手で、1988〜現在まで常にチームキャプテンであり続けている。異なったチームでキャプテンを務め、優勝したのはメシエがNHL史上初。1994年にニューヨーク・レンジャーズをチーム54年振りのスタンレー杯制覇に導き、ニューヨークっ子の絶大な信頼を獲得、名前をもじってMessiah(メサイア・救世主)と称えられた。97年10月にはカナックスの一員として来日しマイティダックスと対戦、そして主将(開幕戦前にリンデンから主将を譲られた)として帰国した。その厳つい風貌と剃り上げたスキンヘッドに似合わない、爽やかな笑顔を振りまく姿は人気が高く、北米に多くのファンを抱えている。オールスター選出15回は勿論、現役最多。03年11月に開催されたオイラーズ対カナディアンズのオールドタイマー戦に現役ただ1人招待され、旧友グレツキーらと出場している。現在43歳だが、体は若くまだまだ現役でやれそうだ。NHLで最もキャプテンマークが似合う選手である。

シーズンMVP2回、プレーオフMVP1回、NHL選手協会MVP2回。

1979年〜91年エドモントン・オイラーズ
1991年〜97年ニューヨーク・レンジャーズ
1997年〜00年バンクーバー・カナックス
2000年〜現在 ニューヨーク・レンジャーズ

NHL通算成績 1756試合 694ゴール 1193アシスト 1887ポイント

● マリオ“スーパーマリオ”ルミュー 
〜Mario Lemieux〜

所属:ピッツバーグ・ペンギンズ #66 C

1965年10月5日、カナダ・ケベック州モントリオール生まれ。195cm100sライトハンド。1984年NHLエントリードラフトでピッツバーグ・ペンギンズから全体1位で指名を受け入団。ルーキーシーズンで43ゴール、100ポイントを記録しカルダートロフィー(新人王)を獲得。その恵まれた体躯はグレツキーにして「神様、私にマリオのサイズがあれば・・」と言わしめた。おりしもコンピューターゲームの「スーパーマリオブラザーズ」が発売され、全米でも人気を博していた為、メディアが「スーパーマリオ」のニックネームを進呈した。NHL18シーズン目で、通算683ゴール(歴代7位)、1701ポイント(歴代7位)。1991、92年にヤーガーとのコンビでスタンレー杯連覇。しかし好事魔多しでホジキンス病に罹り、絶頂時の94−95シーズンを欠場。その後もヘルニアを併発するなど病気との闘いが続いた。95−96シーズンに復帰、70試合で69ゴール、161ポイントと爆発。翌年も50ゴールを記録したが、悪化する病に勝てず、シーズンオフに引退を表明した。引退後は未払いの給与を巡り、財政難に悩む球団と訴訟問題が発生するが、球団がルミューに球団株を譲渡する事で決着し、オーナーの一員となる。2000年の開幕戦にはペンギンズオーナーとして来日している。スター選手ルミューを失ったペンギンズは観客動員数が落ち込み深刻な経営難に陥った。その状況を打破する為、2000年暮れにオーナー兼選手として現役復帰。ソルトレーク五輪カナダ代表のキャプテンを務め、金メダルにも導いている。病魔と闘いながらも往年のテクニックは健在で、ホッケーファンの眼を驚かせている。

新人王、シーズンMVP3回、プレーオフMVP2回、ポイント王6回。ソルトレーク五輪金メダル。

1984年〜97年ピッツバーグ・ペンギンズ
2000年〜現在 ピッツバーグ・ペンギンズ

NHL通算成績 889試合 683ゴール 1018アシスト 1701ポイント

● エド“ザ・イーグル”ベルフォア 
〜Edwald Belfour〜 

所属:トロント・メープルリーフス #20 G

1965年4月21日、カナダ・マニトバ州カーマン生まれ。180cm87sレフトハンド。ノースダコタ大から1987年6月、フリーエージェントでシカゴ・ブラックホークスと契約、ドラフト外の雑草男である。NHL17シーズン目。通算435勝(歴代3位)、通算75完封(歴代8位)、通算滞氷時間49509分(歴代7位)はいずれも現役最多。面白い記録ではゴーリーとして通算31アシストを記録、また血の気が多い選手としても有名で通算358分の反則を計上、もちろん最多記録である。88―89シーズンにNHL昇格を果たすも4勝12敗と散々たる成績だった。翌シーズンはカナダナショナルチームで武者修行、カナダ代表として来日もしている。再びブラックホークスに復帰した90−91シーズンに74試合に出場し新人王を獲得、正ゴーリーの座を不動にした。92年には18シーズン振りのスタンレー杯にチームを導いた。ペンギンズの前に敗れはしたが、シカゴのファンの心を捉えゴール裏のエリアにはベルフォアがセーブする度に、「エディー・ザ・イーグル」と叫びながらインディアンの神を崇める儀式をするイーグルマニアが現われた(チームロゴがインディオの絵だった)。その後も安定した成績を残すが優勝できず無冠のゴーリーと呼ばれる。腰を痛めた97年にシャークスにトレードされ、同年FAでスターズに移籍。そして99年、最優秀防御率賞を受賞し念願のスタンレー杯を制覇した。02年にはソルトレーク五輪で再びカナダ代表に復帰し、金メダルを獲得している。一匹狼的な選手でとっつきにくい性格だが、多くのゴーリーの手本となり、ハシェック、ハケット、フェルナンデス、トゥーレク、ターコ等、多数の名ゴーリーがベルフォアのバックアップからファーストゴーリーへと成長した。

新人王、最優秀ゴーリー賞2回、最優秀防御率賞4回、最優秀セーブ賞1回、最多勝1回、ソルト
レーク五輪金メダル。

1988年〜97年シカゴ・ブラックホークス
1996年〜97年サンノゼ・シャークス
1997年〜02年ダラス・スターズ
2002年〜現在 トロント・メープルリーフス

NHL通算成績 850試合 435勝 281敗 111分け セーブ率90.6%

● パベル“ロシアン・ロケット”ブレ 
〜Pavel Bure〜

所属:ニューヨーク・レンジャーズ #10 RW

1971年3月31日、旧ソ連・モスクワ生まれ。182cm86kgレフトハンド。ソ連の生んだ快速ウインガー。ジュニア時代は日本への留学経験もあり、日本人のファンが多い。両親は元競泳の五輪選手で弟バレリはダラス・スターズに在籍しているスポーツ一家。16歳で名門チェスカ・モスクワとプロ契約し、その才能は北米にも轟く。89年のNHLドラフトでカナックスから全体113位で指名を受けるが、当時は冷戦の最中でソ連からNHLへの入団は許されていなかった。NHL入りは91年のソ連邦崩壊後になる。1年目からスピードを生かしたプレーで36ゴールを決め、新人王に輝く。天性のスピードは往年の名選手モーリス・リシャール(元カナディアンズ=03年死去)の再来とされ、リシャールのニックネーム“ロケット”を拝借しロシアン・ロケットの異名を執る。ちなみに弟のバレリは“ポケット・ロケット”である。2年連続60ゴールを決めた93−94シーズンにはスタンレー杯に出場するもレンジャーズの前に敗れた。95年に膝を故障し長期欠場。96−97シーズンに復帰し、翌シーズンには全82試合に出場、51ゴールを挙げるなど復活。長野五輪ではロシア代表の主将として銀メダルを獲得するが、またも優勝はできなかった。五輪後、カナックスとの契約交渉が難航し71試合を欠場、パンサーズにトレードされる。00、01年にモーリス“ロケット”リシャール賞(得点王)を連続受賞。01−02年には弟バレリがパンサーズへ入団し、「ロケットブラザーズ」としてフロリダを沸かせるも、終盤にプレーオフ争いをしていたレンジャーズへトレードされてしまう。その後は両膝の故障が悪化し、昨季はNHLの精密検査をクリアできず全試合欠場した。旧ソ連のFW選手特有の得点重視型選手で、守りはほとんどしない。その代わりパックを持つとスナイパーの如くゴールを目指す、アシストよりもゴール数の方が多い典型的なFW。引退か復帰かファン注目の選手だ。

新人王、得点王2回、長野五輪銀メダル、ソルトレーク五輪銅メダル。

1991年〜98年 バンクーバー・カナックス
1998年〜02年 フロリダ・パンサーズ
2001年〜現在  ニューヨーク・レンジャーズ

NHL通算成績 702試合 437ゴール 342アシスト 779ポイント

● アル“チョッパー”マキニス 
〜Allan MacInnis〜

所属:セントルイス・ブルース #2 D

1963年7月11日、カナダ・ノバスコシア州インバネス生まれ。189cm94sライトハンド。81年、18歳にして1巡目、全体15位でカルガリー・フレームズに入団。23シーズン目(歴代5位)。レギュラー入りしたのは20歳になった83−84シーズンからで51試合に出場11ゴール、45ポイント。プレーオフにも出場し11試合で12ポイントと結果を残した。翌年にはオールスターにも選出され、早くも一流プレーヤーの仲間入りを果たす。86年にカナダ決戦となったカナディアンズとのスタンレー杯に初出場、15アシストを決めてプレーオフアシスト王を獲得するも敗れた。86−87シーズンに初めて20ゴールを記録、その後もFW顔負けの20ゴール以上を現在までで7シーズン、10ゴール以上を19シーズン記録している。子供の頃から陸上でショット練習を繰り返し、会得した完璧な体重移動と柔らかいリストから放たれる強烈なスラップショットは時速160キロ(オールスターでMAX168キロを記録)でゴールネットを揺らした。NHLで最も強いリストショットを放つことから“チョッパー”(刃物のナタの意)というニックネームがついた。88−89シーズンにキャリア2度目のスタンレー杯進出。相手はまたもやカナディアンズだった。前回を上回る24アシスト、31ポイント(共にプレーオフ王)の大活躍で、カナディアンズを下し、スタンレー杯制覇を果たした。プレーオフMVPであるコンスマイストロフィーを獲得、ディフェンスマンとしては10年振り(史上4人目)の快挙だった。90−91シーズンには28ゴールを挙げ、キャリアハイの103ポイントをマークし、パワーディフェンスの名を欲しいままにした。94年にハウズリーとのトレードでブルースへ移籍。98年長野五輪カナダ代表にも名を連ねた。98−99シーズンには最優秀DF賞を受賞している。NHLを代表する名ディフェンスマンである。最優秀DF賞1回、プレーオフMVP1回、ソルトレーク五輪金メダル。

1981年〜94年 カルガリー・フレームズ
1994年〜現在  セントルイス・ブルース

NHL通算 1416試合 340ゴール 934アシスト 1274ポイント 1501反則

● ブレット“ゴールデン・ブレット”ハル 
〜Brett Hull〜

所属:デトロイト・レッドウイングス #17 RW

1964年8月9日、カナダ・オンタリオ州ベルビル生まれ。180cm92sライトハンド。父ボビー(現WHA会長)も元NHL選手で通算610ゴール(歴代12位)を挙げ、83年に殿堂入りを果たしている。ブレットも現役最多の通算741ゴール(歴代5位)と父を凌ぐ活躍で、まさにホッケー界のサラブレットである。親子通算1351ゴールはNHL記録。カナダ生まれだが、米国籍も保有しており、国際試合には米国代表で出場している。84年全体117位でフレームズに指名されるもミネソタ大に進学。86年のプレーオフでNHLデビューという変わり種である。3年目の87―88シーズンからレギュラー入りし26ゴールを挙げたが、シーズン途中でブルースへトレードされた。父親譲りのプレースタイルで、ゴールへの貪欲なまでの執念はNHL内でも際立つ存在である。89−90シーズンには72ゴール、翌シーズンは78試合で86ゴールを叩き込み、MVPを獲得した。時の評論家は「マリオ(ルミュー)は100アシスト出来るが、100ゴールは出来ない。ハルは100ゴール出来ても100アシストは出来ない。両方できるのがグレートワン(グレツキー)だ」と評した。89年から94年まで50ゴール以上を連続記録している。95―96シーズン途中にグレツキーが加入、ラインメートとしてコンビを組み、プレーオフ第2ラウンドまで勝ち上がっている。98年にスターズにFA移籍し、初のスタンレー杯に出場。そして運命の第6戦、第3延長でセーバーズGハシェックからビクトリーゴールを決め、自らの手でスタンレー杯初優勝を決めた。これもゴールへの飽くなき執念の賜物である。連覇に挑んだ00年のスタンレー杯ではデビルズに敗れた。01年にFAでレッドウイングスへ移籍し、再びスタンレー杯を獲得している。40歳になる現在も17シーズン連続20ゴール以上を継続している点取り屋である。スポーツマンシップ賞1回、シーズンMVP1回、オールスターMVP1回、NHL選手協会MVP1回、ソルトレーク五輪銀メダル。

1985年〜88年 カルガリー・フレームズ
1988年〜98年 セントルイス・ブルース
1998年〜01年 ダラス・スターズ
2001年〜現在  デトロイト・レッドウイングス

NHL通算1264試合 741ゴール 649アシスト 1390ポイント 458反則

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送